「SPEED」を生んだ男(伊秩弘将)
2004年9月8日 音楽業界過去に4人のテーンエイジの女の子たちが日本の音楽業界を制覇しました。みなさん覚えてますか?そう、「SPEED」のことです。今井絵理子、島袋寛子、上原多香子、新垣仁絵の4人です。デビュー曲「Body&Soul」の時なんて、寛子ちゃんはまだ小学生でした。その後はもうみなさんのご存知のとおり数々のヒットを生み出しました。
でも、実際には「SPEED」はある1人の男が作り出した幻のアーティストだったと言えます。その男の名は「伊秩弘将」そして当時の「SPEED」は彼の最高の仕事であり、作品であったと思います。彼は作詞・作曲はもちろん、ボーカルの2人に詳細な部分まで、歌い方の指示をします。プロデューサーとして熱の入れようはハンパじゃありません。
実は私は、SPEEDより以前から、伊秩さんの書いた曲をちょこちょこ耳にしていました。そのころの伊秩さんはいろんなアーティストのアルバムの中の1曲を提供する程度の、いわゆる「かけだし」の時代でしたが、彼の音楽だけは他とは違うものを感じていました。だから名前もちゃんと覚えていました。才能のある人だし、いつか成功するのを期待してましたが、SPEEDのプロデューサーという形で、あれほどの大成功を成し得るとは正直、思いませんでした。
でも、やはり幻はいつか消えるもの。そしてSPEEDの解散は、彼女たちの「限界」を意味していたのです。伊秩さんにとっては自分の才能を発揮すればするほど、SPEEDの解散時期を早めるという皮肉な結末となってしまったわけです。
というわけで、私は何が言いたいかというと、今の日本の音楽業界の問題点として、この例を挙げておきたいわけです。今回は長くなりましたので、この辺でやめます。また、折に触れてこの問題には触れるつもりです。明日は、「SPEED、彼女達のその後」を予定してます。うーん、今日はちょっとシリアスだったかな。
でも、実際には「SPEED」はある1人の男が作り出した幻のアーティストだったと言えます。その男の名は「伊秩弘将」そして当時の「SPEED」は彼の最高の仕事であり、作品であったと思います。彼は作詞・作曲はもちろん、ボーカルの2人に詳細な部分まで、歌い方の指示をします。プロデューサーとして熱の入れようはハンパじゃありません。
実は私は、SPEEDより以前から、伊秩さんの書いた曲をちょこちょこ耳にしていました。そのころの伊秩さんはいろんなアーティストのアルバムの中の1曲を提供する程度の、いわゆる「かけだし」の時代でしたが、彼の音楽だけは他とは違うものを感じていました。だから名前もちゃんと覚えていました。才能のある人だし、いつか成功するのを期待してましたが、SPEEDのプロデューサーという形で、あれほどの大成功を成し得るとは正直、思いませんでした。
でも、やはり幻はいつか消えるもの。そしてSPEEDの解散は、彼女たちの「限界」を意味していたのです。伊秩さんにとっては自分の才能を発揮すればするほど、SPEEDの解散時期を早めるという皮肉な結末となってしまったわけです。
というわけで、私は何が言いたいかというと、今の日本の音楽業界の問題点として、この例を挙げておきたいわけです。今回は長くなりましたので、この辺でやめます。また、折に触れてこの問題には触れるつもりです。明日は、「SPEED、彼女達のその後」を予定してます。うーん、今日はちょっとシリアスだったかな。
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